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1.医療に対する過信と不信  (医師としての反省も含めて)

平成12年4月  浜脇弘暉

●はじめに:

 私、一地方都市の産婦人科・町医者として約30年間、細々と、職業上の喜びを感じつつ、赤ちゃんの誕生にタッチしてきましたが、平成6年度より高知県医師会医事紛争担当常任理事を仰せつかりましたが(平成19年度で退職)、その関係上、患者さんと医師との紛争の場に立ち会うこともございます。
 それらの経験や現在の医療情勢から思うに、このままでは医療が成り立つために必須である「患者さんと医師との信頼関係」がますます悪くなり、世界に冠たる長寿と最低の乳児死亡率を達成した日本の医療が崩壊するのではないかという不安を禁じ得なくなりました。

 医療の本質や医療の持つ不確実性・不確定要素などについては、医療従事者以外のマスコミも含めた一般の皆様に、いまだに十分ご理解いただけていない焦燥感も常々感じております。我々医師が読む本には書かれていても、マスコミの方々は読まれていないのでしょう、そのあたりには触れてくれません。
 一般の方々も、あまり目にされることはないと思います。

 医者の悪口を書けば新聞でも本でも雑誌でも売れると言います。インタ−ネットでも医者いじめが行われていますが、「医者いじめ」は、ある種の爽快感を民衆に与えはしても、医療そのものの改善にはつながらないと思います。
  しかしここ数年、医療機関での事故、それも単純な不注意ミスが増加し、医療関係者の猛省と対策が求められております。今や国民の医師や医療機関への信頼は極めて薄れてきているのも事実です。(医師としての反省も含めて)という副題を付けたのは、その意味もあります。
  ただマスコミが一方的・恣意的な医療関係者の批判をすればするほど、患者さんと医師の信頼関係を更に悪化させる危険性もあり得ます。
  決して医者の言いわけではなく、医者としての反省もこめて、できるだけ事実に忠実に、都合のよいことばかりではなく、都合の悪い負の情報提供も含めて、私も年ですので遺言の意味もあり書いてみました。また負の情報提供も必要な時代になったと考えるからでもあります。私の性格と文章下手のため、長い文章になってしまいましたが、目次で興味のある部分をご覧いただければ幸いです。
1)医事紛争・医療訴訟、医療事故防止対策について
2)医療の不確実性・不確定要素、医療の持つ危険性について:
3)マスコミの報道姿勢と情報開示について:

1)医事紛争・医療訴訟、医療事故防止対策について

 アメリカでは、1970年代の初め、医療訴訟の急増と賠償金額の高騰により、保険会社は医療損害保険から撤退または大幅な掛金の増額を行いました。
 そのため医療機関は損害賠償保険に入りにくくなり、医療を継続することすら危うくなってきました。いわゆる「malpractice crisis(医事紛争危機とでも訳すのでしょうか)」と言われるものです。

 それ以降、医療機関が独自に行動を起こし、病院の生き残り戦略として出てきたのが、初期の頃のリスク・マネ−ジメント(危機管理体制)と言えます。
  しかし、リスク・マネ−ジメントの先進国であるアメリカでも、今なお、医療過誤は深刻のようです。

 アメリカ科学アカデミ−医学研究所が11年11月にまとめた推定報告書では、「ある調査に基づくと年間4万4000人、別の調査によると年間9万8000人が医療過誤のために全国の病院で死亡していると推定できる」とし、控えめに見ても、医療過誤による死亡は、交通事故や乳癌、エイズでの死亡を上回るとしています。そして、医療過誤で悪化した病状の手当てのために、年間88億ドル・9200億円の医療費が使われていると指摘しています。

 その上で、医療過誤の原因について、

1)読みにくいカルテで薬品アレルギ−を見逃した、

2)薄めなければ使えない劇薬を誤って使用した、

3)高度化する医療技術に医師がついて行けない、などを上げています。
  

アメリカは、「医師は道端に人が倒れていても助けてはいけない、訴訟に巻き込まれる」とまで言われる訴訟社会になり、弁護士さんは、救急車の行くところに仕事が転がっているという意味で「救急車の追跡者」とも言われているそうです。

 アメリカでは医師の収入の3割が医療損害保険料に当てられ、医療に嫌気がさし廃業する医師すらあると言います。
 リスクの高い脳神経外科や産科医などの第1線臨床医の辞退が続き、アメリカ合衆国厚生省も訴訟恐怖症で全米の産科医の4分の1が出産介護業務を減らしている実態を認めています。このようにアメリカでは、異常分娩のたびに訴訟に悩まされ、産科を取り扱わなくなる医師が増え、地域医療にとり由々しき事態が起こっています。

 我が国でも、平成8年統計で、医師数240,908人に対して、産婦人科医師数 11,509人、重複計上の産科医師数を加えても12,235人=5%に過ぎず、産婦人科認定医の受験者数も最近300人程度で、かつ年中休みがない重労働、医事紛争が多いなどの理由から、産科や周産期医療へ進む医師が激減しています。

 少子化時代とはいえ、例えば将来100〜120万人の出産を手助けする産科医は3000〜4000人しかいなくなるという推定もあり、産科医不足が心配されます。

 さて、我が国の医療は昔から、パタ−ナリズム即ち父権温情主義という形態で行われてきたキライがあります。黙って医者の私に付いて来なさい式の医療と言えます。あの先生は怒って怖いと言われつつ、不思議にも患者さんが門前市をなす名医を多く見かけました。「黙って私の診断と治療に従い、私の出す薬を飲みなさい」と言うパタ−ンの診療が一般的な医師の姿であり、患者さんも信頼し文句も言わず、それに従って来たような印象があります。
 しかし今や、我が国も欧米諸国並みに、医事紛争多発時代に突入し、「医師不信の時代」と言われ、国民の医師への尊敬の念も薄れてきています。

 単に医者の職業意識・職業倫理が低くなったからとも思えませんが、医師も医療従事者も、国民の信頼をここまで落としたことに対しては、大いに反省すべきだと思います。

 我が国では、政治不信や政治家への不信、エリ−ト官僚や財界・金融業界への不信、最近では警察官僚不信、弁護士への不信、教育現場での様々な不信、パ−トナ−への暴力や幼児虐待など男女間や親子間の不信など、日本中に不信感がうず巻いていますので、医療界のみとも言えず、このような異常な「人を信じられない社会」を作ってしまった大人たちの責任は重大ですが。 

 医療訴訟急増の原因として言われているのは、患者さんの権利意識の向上、医師や医療機関に対する信頼関係の変化、患者さんの医学知識の普及拡大、患者さんの医学知識に関する誤解、リスクを伴う医療の増加、少子化などによる価値観の変化、高齢化社会での医療の適用年齢の拡大などでしょうか。
 また司法試験合格者数を700から1500に倍増した上に、バブル崩壊で不動産関連などの民事事件が減った弁護士さんが医療事故を掘り起こし、訴訟に持って行く風潮もあると言われています。

 一方で、進歩する医療への患者さん側の過剰な期待感やマスコミの過剰報道も、医事紛争増加に荷担していると言われています。

 医事紛争の発生頻度ですが、医療訴訟の新受付件数は、平成10年には629件と10年前に比べ1.7倍となり、年々増加しています。全国で1日1・2件の新しい医療訴訟が起こっていることになります。
 しかもこの数倍、数十倍の医事紛争が示談で処理されていると言われ、わが国も「医事紛争危機」へ突入したと言われるゆえんです。

 更に、近年の医療は、益々、専門化・細分化されています。


医師の専門分野の細分化や医師以外の医療従事者の分野でも、専門化・分業化が進み、医師と看護婦以外に、夫々の分野で専門家がいて、一人の患者さんに対して、これら各分野の知識を統合し集約して、初めて医療が成立するという構図が当たり前になってきました。
 診療所レベル以外では、医師と看護婦という単純な図式での医療は珍しくなり、いわゆるチ−ム医療の時代に突入しています。

 それによって、医療の質が向上し、患者さんへの恩恵も増えています。
 しかし一方で、複数の医師や看護婦などの医療従事者でチ−ム医療を行う医療機関での、患者間違い・手術部位間違い・輸血ミス・薬剤間違い・人工呼吸器操作ミスなどの単純なケアレス・ミス(不注意ミス)は極めて増加し、特に、大学病院や官公立病院での医事紛争は増加の一途をたどっています。

 最近の新聞報道を見ても、いささか恐ろしい状況が伺われ、医療機関の責任が問われています。死亡例では、11年2月東京都立広尾病院・消毒剤の点滴ミス、11年11月大阪国立循環器病センタ−・人工心臓肺装置での保護薬液ミス、今年に入っても、1月神戸市の私立真星病院・栄養剤の血管内点滴注入ミス、3月京大病院・呼吸器の加湿用蒸留水とエタノ−ルの間違い、3月大阪赤十字病院・抗がん剤過剰投与、3月発覚した1998年1月の札幌中村記念病院・内服用抗がん剤の点滴ミス、3月埼玉県済生会川口総合病院・モルヒネ過剰投与ミス、4月東海大付属病院・内服剤の点滴ミスなど、医療機関での不注意・うっかりミスが多発しています。そして日本や地域を代表する医療レベルであるはずの大病院でのミスも目立ちます。少なくとも行われるべき確認が不足し、ミスをチェックすべきシステムの未整備、医療機関での防止対策への取組みの遅れも指摘されています。

 第4次医療法改正で、医療の質の向上のため病院の入院患者3人に対して1人の看護婦ということが要求されました。現在、一般病院の看護体制の基準は4対1です。看護婦さんの人数が増えることに越したことはありませんが、人数が増えたから即医療の質が向上されるとは言えません。これら医療ミスが指摘された病院のほとんど全てが2対1、2.5対1看護体制であり、また准看護婦の質の問題が云々されていますが、ミスを起こしたのは准看護婦より正看護婦が多いという実態もあります。

 日本医師会の医療安全対策委員会の答申では「人間はミスをするものだ」と言う基本的認識に立ち、飛行機事故の「fail safe =フェイルセイフ」のように、第1の事故が起こっても、その被害を最小限に止めるべく、第2第3の安全策を講じるべきであるとし、メディカル・リスク・マネ−ジメントを提唱しています。飛行機の操縦席にはフェイルセイフという安全装置が幾つもあり、不用意にレバ−を引くと大事故につながるレバ−を引くには何段階かの安全装置をはづさなければ動かせないようになっていると言います。

 そのケアレス・ミス発生の要因は、
   1.番目に、当たり前の事がきちんとできていない。
   2.番目に、患者に関する情報の確認が不十分。
   3.番目に、自分の行動についてのチェックが甘い。
   4.番目に、複数の人によるチェックができていない。
   5.番目に、ル−ルがあっても守られていない。    と言われています。

 そこで、メディカル・リスクマネ−ジメント(医療危機管理体制)の必要性が提唱されているわけです。

 メディカル・リスク・マネ−ジメントでは、
   1.つは、医療自体に内在するリスク
   2.つ目は、医療施設のリスク
   3.つ目は、組織的な弱点などの点検の必要性     が言われています。

 ケアレス・ミス、初歩的ミスによる医療事故が相次いでいることに危機感をもった厚生省は、再発防止の観点から、実例を収集し、原因を分析し、対策を講じる新しい制度を目指す一方、事故防止のため、27関連団体をメンバ−とする「医療安全対策連絡会議」を12年3月22日に開催したり、国立病院・療養所向けの医療事故防止のマニュアル作成を目指すなど対応に追われています。今後は医療事故の報告を義務づけ内容や医療機関名を公表することも検討されています。

 メディカル・リスク・マネ−ジメントの真の目的は、「医療の質の向上」と「患者さんの満足度を上げるための医療の構築」であり、単なる医療訴訟対策では意味をなさないと言います。医療事故防止には、個人の努力だけでなく、病院のシステム全体の見直し、医師や医療従事者と患者さんのコミュニケ−ション確立が必要であり、医療事故が発生した場合、上司がエラ−をした個人を責めるのではなく、エラ−の原因の究明をし、エラ−を起こしたシステム上の欠陥を洗い出し、過失を誘発したシステム全体の改善策を検討すべきと言います。更には、例え事故が起こっても事前に検出できる体制の構築に取り組むべきとも言われています。

 上下関係を捨て、病院をあげてオ−プンな取り組みが必要で、例えば、医療現場でのアクシデント・レポ−ト、「ヒヤリ・ハット」した事例報告=インシデント・レポ−ト、医療事故にはならなかったが同程度の危険性を持つ事故予備軍の「ニアミス・レポ−ト」を収集し、問題点を検討する必要性も指摘されています。

 「医療過誤=医療ミス」は決して許されるものではなく、医療ミスを犯せば、患者さんに誠意をもって事実を説明し、謝罪し、相応の補償をすべきです。

 事故発生後の処理、特に情報開示についてですが、後から後から情報が小出しされ不信感を増幅させた厚生省のエイズ事件のように、大学・官公立病院での事故で、隠蔽された嘘の情報が患者さん側に流されている現実もあります。

 先日も、広尾病院での消毒剤の点滴によると考えられる死亡事故で、死亡診断書の改ざんで、元院長など9人が、書類送検されましたが、真の情報開示の理念とは全くかけ離れた事例だと言えます。

 医療訴訟で医師側に立つ児玉安司弁護士は「医療従事者は医療事故が起こった場合、ごまかしや小手先で喋っても何の解決にもならない。事故の事実・真実を究明し、事実を見つめた上で、患者側に誠意をもって十分事実を説明することが重要で、後は腹をくくるしかない。ただ過失がないと判明した場合は、裁判であろうが、示談であろうが、戦うしかない」と話されています。
 おうおうにして、医療事故では、隠そうとすればするほど、嘘でごまかそうとすればするほど、後からボロが次々に出てきて、収拾がつかなくなる例が数多く見られます。

 しかし一方、医療事故の中には、現代の医療水準からみて、やむを得なかったという事例は存在します。医師や医療従事者が必死に頑張っても、救命できない不可抗力的な事例が必ず存在します。
 医療裁判では行われた医療が当時の医療水準に適しているかどうかが問われます。そのため何よりも医師には進歩する医療に対して、日々たゆまぬ研鑽が要求されているわけです。製造物責任法・PL法ができてから製薬会社は次々に副作用報告を出しますが、医師はその全てに注意することが求められます。
 しかし裁判所が求める医療水準を満たすことが現実的かどうかは疑問視する識者も存在します。本来外科医であり弁護士である古川俊治氏は「本来、医療水準というのは、これを満たさなければ法的義務違反になるという意味で、最低ラインのはず。しかし近年の判例を見る限りでは、医師に要求されている医療水準は著しく高くなっており、完全に順守するのは難しい」と言い、医師の臨床経験を積んだ後に弁護士になった水澤亜紀子氏は「このままでは医師になりたいと希望する人が減るのではないか」と懸念すらしておられます。

 一方、保険点数で制限された医療は、現在の医療水準から程遠い最低レベルであることは、全ての医師が承知している事実であります。厚生省や保険組合は最低レベルと知っていながら、保険診療規則の基準を外れた医療は全て査定という方法で、医師が患者さんに良かれと考えて実際に使った薬剤や検査の費用を削りますので、医療機関の損害になります。医師側からは健保組合の食い逃げと言えます。
 この矛盾の中で、医師は目の前の患者さんのために最良の医療を提供することを求められているわけです。

 医療裁判では、保険医療の水準より医療水準が優先することは紛れもない事実なのです。現実に、保険制度で認められていない検査・処置が抜けていたために、有罪判決を受けた判決事例もあります。

 大多数の医師は、そんな保険診療の矛盾の中で患者さんのために良かれと考えられる医療を必死で提供している事実も強調しておきたいと思います。

  「ドクタ−ト−ク」の「国民皆保険制度のしくみと国民皆保険制度崩壊の危機」の項にも書きましたが、マスコミが強調するほど、現在の普通の医者は裕福ではありません。未だに間違ったイメ−ジが残っているようです。

 医療事故で何千万・何億円の賠償金の支払いを命じられたり、求められたりした場合、個人で支払える医者は限られています。
 医療事故の被害を金銭でつぐなうというのは失礼な話しではありますが、医療行為で発生した損害というものは、元に戻せるものは皆無と言ってもよく、やむなく、被害者の損害に応じた賠償金という補償方法が訴訟でも和解・示談でも出てくるのです。
 その賠償金を被害者に、できるだけ遅滞なく支払うことを目的として、種々の賠償責任保険が存在しており、医師は掛金を払い万一に備えているのです。
 アメリカに近づいた訴訟社会の状況の中では、医師は日々の診療に際し、十分な説明と万全の注意をもって全力を打ち込むしかありません。

  しかし、医療事故は100%ゼロにはできません。それが医療の本質、実態だからです。この点は次ぎの項で触れてみたいと思います。
  あまりにも異常な訴訟社会が普通になり、医者いじめが過ぎると、患者さんとの信頼関係を保つためにも、診断を間違わないためにも、マスコミの言ういわゆる「過剰診療」に陥るか、危険な患者さんは診療しない、いわゆる「萎縮診療」に逃れるしか医師に残された道はなくなる可能性もあり得ます。
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2)医療の不確実性・不確定要素、医療の持つ危険性について:

以前から、医療や医療行為に関しては、患者さんやマスコミと医療関係者の間で、共通の理解・認識が得られていない現実が存在します。
 医療の専門性や情報が得られにくいことも原因の1つですが、医療の不確実性・不確定要素、多様性を理解されていないことが大きな原因だと言えます。

 医療は元々、普遍的なサイエンスではなく、個々に適用されるアートであると言われます。
 実際の医療現場では、教科書やマニュアル通りにはいかず、患者さん個々により、同一疾患であっても、病態や経過が微妙に異なり、治療でも効果や反応が同じではなく、副作用やショックなどを起こす事例も珍しいことではなく、「個々に適用される芸術と表現される」ゆえんです。

芸術であるが故にマニュアル通りにしか動けない医師はミスを起こす可能性が大きくなり、自動車の運転と同様、少し慣れて自信がついてきた頃に思わぬミスを起こし易いことは、経験を積んだ医師が指摘するところでもあります。

 検査や注射・投薬・手術は、生体に特定の侵襲を負わせることになり、医師以外が行えば行為自体が犯罪となるもので、医療行為は本来傷害行為を包括しており、リスクを伴う行為であり、100%の事故防止は不可能とも言えます。 しかも人体は、遺伝子、ホルモン・酵素など内分泌、自律神経など神経系など極めて複雑な構造から成り立っており(人体は複雑系の最たるものと言われるゆえん)、個人個人に個性があり、全てが同一の人間は存在しません。
 医療の不確実性・不確定要素とは、同じ病気でも病態や経過が患者さんによって微妙に異なるということです。
 病気そのものが本来備えている「あやふやな面・特性」を理解する必要があります。診断や治療、予後の面でも、黒か白かの極端な判断ができない症例はざらで、医者なら全てが自覚している事実ですが、きちんとした判断を要求する患者さんとのギャップが生まれるところでもあります。

 「以前から、医療行為の多くが科学的な証拠を欠き、イギリスのサケット氏は科学的な証拠に基づいた診療は53%に過ぎず、医療は患者1人1人で見るとドラスチックに有効なのは限定されており、不確定要素の強い分野である」と言われております。
 そこで最近、evidece based medicine(EBM)=科学的証拠に基づく医療という考えが出てきました。しかしEBMが全ての医療事故を防止する万能の武器ではなく、未だ医療の狭い部分しかカバ−できないのが現状です。この研究やエビデンス(証拠)も日本ではまだ少なく、患者さんから証拠の説明を求められても、医師の不勉強ではなく、医療や医療行為には、もともと信頼でき得るデ−タは一般の方々が考えるほど多くはない現状もあります。アメリカのマネ−ジド・ケアでは、むしろEBMの不適切な応用により医師の裁量権が侵害され問題となっています。EBMが典型的な患者への対処方法を探す道具であるはずが、それを全ての患者に応用することで医療の質の低下が問題になっています。

 EBMの手順に基づいて作成された診療のガイドラインの内容は、あくまでも平均的な患者についてのものであり、そのまま適用してよい患者さんは、せいぜい50〜70%程度と予測され、残りの患者さんには医師の裁量・判断が不可欠となると言われ、EBMは臨床場面の判断支援を目指す1つの道具でしかありません。

 実際の医療現場では、マニュアル医療の通りにはいかない場合が圧倒的に多く、目の前の患者さんは典型的な症例であることは少なく、常に標準から幅を持つ中で、医師は診療行為を行うことになります。
 医療はケ−ス・バイ・ケ−スであり、それが医療の本質であるからです。

 近年、脳代謝改善薬として一度は厚生省に認められた数種類の薬品が臨床的効果がなしとされ販売中止となりましたが、人間は化学実験のような方程式通りには反応しないという好例です。

 医学には不確実という側面があり、病態生理学には限界があり、実際の臨床の現場で求められるのは、患者・医師の立場でも、疾患の治癒などの効果、発症率や死亡率、安全性、患者さんのQuality of lifeであり、夫々の患者さん の生活環境や人生観・価値観・信念・感情などの生き方などを考慮した上で、臨床判断がなされているわけです。そして、そういう微妙な判断が「医師の裁量権」と言われるものです。医師の裁量権とは、「医師の専門知識」を用いて医学的な問題を処理判断する権限と言われています。

 さて医療について、我々医師も患者さんもマスコミも、いささか過剰な期待を持ち過ぎてはいないでしょうか。
 現在の医学そのものが飛躍的に進歩したと言えるのでしょうか。
 未だ未解明の難病は数多く存在しますし、不治の病も存在します。

 インフルエンザで子供たちが脳炎を起こし死亡する事例がありますが、厚生省の研究班はそのメカニズムを解明できませんでした。病気にならないための予防接種で子供たちが副作用で死亡する事例も珍しいことではありません。

 我々人類より遥か数十億年前から地球上に存在し、生き延びてきた細菌やウイルスに人類は未だ無抵抗ですらあります。
 次々に抗生物質ができて細菌に一時は勝っても、細菌は耐性をつけ、抗生物質は効果がなくなり、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)やVISA(バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌)やVRE(バンコマイシン耐性腸球菌)の院内感染などの状況が生まれます。既に撲滅したと安心していた結核菌(多剤耐性結核菌)の逆襲にも見舞われています。
 更には未知なるウイルスの突然の出現と恐怖にさらされる事例は、エイズやエボラ出血熱など、世界中で既に経験ずみです。

 1996年のWHO報告では、この20年間に30種を越える新型の感染症が出現し、1995年には世界中で感染症による死者が1,700万人に上り、その数が激増中であるとしています。

 また、麻酔から覚めない患者さん、薬品の副作用、分娩時の事故などは、どれほど注意して問診しても、どんなに注意して医療行為を行っても、ある確率で起こり得ます。その可能性は決してゼロではありません。

 しかし医事紛争では、患者さん側は事故の偶発性や医療の不確実性を認めず、医師の不注意など何らかの因果関係に起因すると考えます。

  今なお現在の医療水準で科学的な説明が困難な症例は多く存在します。
 医師の不注意や不誠実が全て原因ではない場合もあるわけです。

 これは治療の場合でも同じで、病気が改善しない場合に患者さんが問題にしますが、病気の原因には科学的に未解明なものも多く、治療の効果や反応・経過も個人によって差があり不確実であるのが、現在の医療の現実であります。

 臓器移植や生体臓器移植も可能な現在ですが、これらの対象になる難病や「がん」や救命が難しいとされる病気に対して万に1つの可能性を求めてリスクの高い医療を行った場合は、成功のみが褒めはやされ、成功しなくても非難はされない傾向もあります。

 しかし一方で、いわゆる簡単な普通の病気や検査と患者さんや家族が考えている場合は、その結果がよい方向へ行かない場合には、医師は責められます。
 しかし、今なお、風邪や一般の方々が簡単な病気だと考えているものも、全てが同じような経過を取るわけではなく、全て治癒するとは限りません。

 疾患やその部位によっては、診断をつけることさえ困難を伴う病気は多く存在しています。医師自身の病気やがんの診断遅れの症例も珍しくありません。

 患者さん個々によって、治療効果も異なり、病態によって同様の経過を取らず、不幸な結果になることは珍しくはないというのが、医療現場の医師の認識です。

 医療はまだまだ未解明な部分が多く、不確実性の多い分野であることをご理解いただきたいのです。

 医学が進歩したということを、よく考えて見れば、生化学、生物遺伝子学・遺伝子工学・分子生物学や光学・物理学などの他の科学分野での進歩が、医療テクノロジーに恩恵をもたらしたのであり、心電図や超音波診断関連、CT・MRIなどの画像関連、遺伝子診断や治療、内視鏡やカテーテル技術も、医学そのものの進歩と言うより、他の科学分野の進歩の恩恵と言えましょう。 昔の内科の先生は、問診・視診・触診・打診と聴診器一本で、心臓疾患の診断をされていました。当然、誤診もあったでしょう。

 一方、現在の医師は、聴診器を手放し、医療テクノロジ−に頼るあまり、患者さんにじかに触ることを放棄しつつあるようです。

 有名な横浜市立大学病院の心肺患者取り違えも、搬送時体制等、病院のシステムの問題がありますが、少なくとも、心臓、呼吸器外科の専門の医師としては、実際の病変部を肉眼で見て、おかしいと思いつつ手術を中止する慎重さと勇気を欠き、手術を続行したことの方が問題だと思います。
 患者の顔も見てない、憶えていない、画像診断やカテ−テル診断などのテクノロジ−に頼り過ぎるあまり、バ−チャルリアリティとまでは申しませんが、医療の原点「人間そのものを見ているのだ」という反省が必要だと思います。

 医療は、何よりも患者さんへの思いやり・優しさが優先されるべきです。


 患者さんは、心臓や肺の移植も可能な現在、病気で治らないものは、殆どないという過剰な期待感を持ち、何かあると医療ミスと思ってしまいます。
 まして、それらの疾患や治療や検査に関する危険性などのインフォ−ムド・コンセント(説明と理解)が不足している場合はなおさらでしょう。

 だからこそ、これらについての具体的な危険性も含めたインフォ−ムド・コンセント(理解される説明と同意)が要求される時代になったと言えます。

 インフォ−ムド・コンセントについて児玉弁護士は「医師や医療機関が真剣に取り組むべきことは、患者さんの本当のニ−ズをよく聞き、それに応えられる医療、説明を心がけるべきで、単なる医療訴訟対策ではなく、日々の医療でそれを実践するべきだ」と話されています。

 ただ、全ての風邪の患者さんに肺炎など疑われる全ての疾患の可能性・危険性まで詳しく説明するためには、それなりの余裕のある時間が必要ですが、現在の安い技術料の保険制度下では不可能な理想論に過ぎないとも言えます。

 現実に有罪判決事例もありますが、発生率が万に1つの薬品の副作用の全てを具体的に説明することも、いたずらに患者さんに不安を与え、本来の疾患に必要な薬品を服用しなくなる怖れもでてきますし、保険診療では時間の長さで点数が上がるシステムではなく、忙しい医療機関では不可能に近いとも言えます。また、保険診療で制限された中で、風邪の患者さんに対して疑われる全ての病気を、問診、視診や聴診器やレントゲン検査のみで診断することの困難さは、今や一般の方々でもご理解いただけるでしょう。

 川崎市立川崎病院の内科医長・鈴木厚先生の言ですが、風邪と考えられる症状で誤診され易いのは、肺炎、急性肝炎、扁桃腺炎、白血病、髄膜炎、亜急性甲状腺炎、虫垂炎、くも膜下出血などと言われます。
 全ての風邪の患者さんの中で肺炎が100人に1人でもあることを否定しようとすれば、レントゲン検査は全て必要になり、風邪で頭痛のある患者さんの「くも膜下出血」を否定しようとすれば、全てに脳のCT・MRI検査が必要になります。
 そうなると日本の医療費がどうなるかお分かりいただけるでしょう。

 保険診療の制限も加わり、医療訴訟まで考えると、医師の診療現場での神経の使い方、心労は計り知れないレベルにまで達します。

 医療が進歩し、医事紛争危機と言われる時代にあって、本来は患者さんのために、病気を正しく診断すべく検査をしたくなる医師の心境、患者さんの痛みや熱などの症状を和らげ早く治してあげたいとの思いで投薬する医師の心遣いにも、少しは暖かい目を向ける優しさを持っていただきたいと医師たちは思っています。

 医療費削減という厚生省の政策に乗せられ、本来国民のために必要な医療すら制限されている現状を無視して、一面のみをあげつらって一方的に批判するのではなく、そして、むやみやたらに「過剰検査」、「過剰投薬」と言う前に、医療訴訟社会と言われる中で奮闘している医師の立場や不確定要素のある医療の本質にも目を向けていただきたいと医師たちは考えているのです。

 また、新しい医療テクノロジーの進歩による患者さんへの恩恵というプラス面の一方で、それに伴う新しい形の医療事故も多発しているというマイナスの部分も問題になってきています。
 むしろ最近は、古典的な医療行為での紛争より、カテ−テル技術による検査や血管造影、早期発見が可能になった脳血管異常の予防的手術、更に、内視鏡・腹腔鏡・気管支鏡による検査や手術などの「いわゆる先進医療」での医療過誤や紛争事例が増加しています。

 平成6年朝日新聞に5年間のアンケ−ト調査で、内視鏡検査や治療で、前投薬や麻酔での事例も含め225人の患者が死亡したとの報道がありました。
 最近、内視鏡、大腸検査の事故や内視鏡下手術での事故が増加しています。

 先の児玉弁護士は、「内視鏡は一定の確率で臓器に傷を付けるもの、どんなに内視鏡の操作がうまい医師が手術しても、何例かに一例は必ず事故が起こる。ベテランの医師がベストを尽くしても患者さんの体に穴を開けてしまう」と内視鏡の性質を説明されています。

 また、エドワ−ド・テナ−著「逆襲するテクノロジ−」には、「腹腔鏡手術は従来の手術より危険性を伴い、合併症は従来の手術より最高で10倍、50件に1件も多く発生する。テレビの映像だと開腹してただれた様子を直接見るよりも範囲が狭く、粒子が荒く、当たり前だが平面的に見える。外科医は臓器を指で直接感じることはできない」と言っています。
 「どんなに医師が熟練しても医療機器の性質として、ある確率で事故は起きる。それが医療現場のリアリズムなのだ。どんなに科学技術が進歩しても医療の持つ不確実性は消えない。いや不確実性は技術の進歩と共に拡大する」と言われています。

 私が産婦人科医を目指した昭和39年頃は、今のような簡単な免疫学的妊娠反応も超音波診断もなく、妊娠診断ができれば一人前の産婦人科医とされ、分娩予定日は最終月経で決め、胎児の大きさは、子宮底の長さや腹囲や触診で予測していましたので、予定日が来て、教授に怒鳴られながら苦労して分娩させても、未熟児で、がっくりというような例はざらにありました。

 今では、免疫学的妊娠反応や超音波診断によって、妊娠早期に診断ができますし、超音波診断で胎盤の付着部や赤ちゃんそのもの映像が見られます。また、使い方が問われてはいますが、強力な陣痛促進剤も抗生物質も出てきました。 更に生殖技術の急速な進歩で、産婦人科医たちは顕微鏡下で受精させ子宮に戻す体外受精と言う生命誕生まで可能になりました。
 しかし、進歩したとはいえ、産婦人科医療現場での異常妊娠や子宮外妊娠の診断はそんなに簡単ではありませんし、産科分野では、母体急死や新生児死亡や脳性麻痺の事例が存在します。
 更に、帝王切開中の羊水塞栓や手術後の血栓が推測される救命のむつかしい母体急死の事例も起こっており、むしろ近年増加傾向が言われております。
 厚生省児童家庭局母子保健課「母子保健の主なる統計」によれば、我が国の人口千に対する死亡率は、明治32年が21.5、昭和30年にやっと7.8となり10を切りましたが、昭和40年が7.1、平成10年は7.5と頭打ちの状態で、25年間で改善は見られていません。
 わが国の年間妊産婦死亡数と出生10万に対する死亡率は、昭和25年が4,117 ・176.1、昭和40年が1,597例・87.6、昭和45年でもなお1,008例・52.1でした。

年間新生児死亡数・乳児死亡数と出生1000に対する死亡率は、新生児死亡が、昭和40年で21,260例・11.7、昭和45年で16,742例・8.7、乳児死亡が昭和40年で33,742例・18.5、昭和45年でも33,742例・13.1でした。

 平成10年の統計では、妊産婦死亡数と率は86例・7.1、新生児死亡数と率は2353例・2.0、乳児死亡数と率は4,380例・3.6と、ここ30年位で劇的に低下しています。

 先進国との比較でも(比較年は多少異なる)、新生児死亡率では、アメリカ5.2、イギリス4.2、カナダ4.1、ドイツ3.2、フランス3.2、日本2.0と最低ですし、乳児死亡率では、アメリカ7.8、イギリス6.2、カナダ6.0、フランス5.9、ドイツ5.3、日本3.6と世界一良い成績を誇っています。

 妊産婦死亡率は、フランス11.7、アメリカ8.3、イギリス7.9、ドイツ5.4、カナダ4.5、日本は7.1と、先進国の中位の成績です。

 このような統計からみても、今なお、高度医療を行う大学病院や官公立病院ですら、妊娠・出産に伴う母体や新生児の危険性がゼロになったわけではありません。

 産婦人科医が現在の先進医療技術や十分な注意をもってしても危険性はゼロにはなり得ないという宿命は存在し、これが産科・新生児・乳児医療の現実であり、医師の悩みでもあります。他の診療科も同じ悩みを抱えているのが、医師の認識であり、現在の医療の実態・現実であると言えます。

 そして、全ての事故について科学的証明や説明ができるほど、現在の医学水準は到達していません。 
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3)マスコミの報道姿勢と情報開示について:

 さて医療情報開示時代とは言え、マスコミは、先進医療技術や初めて成功した手術などを報道します。しかも、往々にして、その後のフォローが抜け、その結末について読者は知らされません。
 一方、医療訴訟や医事紛争には、殊更、悪意に満ちた報道をします。

 マスコミの偏向的な報道で、決まり文句として言われ続けているのは、医療費高騰、過剰検査・過剰診療、薬価差益、薬漬け、不正請求、3時間待ちの3分間診療など医者叩きがほとんどですが、これらの報道は良心的な医者も含めて医師のイメ−ジを悪くしています。


 例えば、最近の診療所の所得が235万円という報道も実態の一部分の報道でしかありません。手取りではなく、ここから支出するものには、自分や家族の生活費は当然ですが、税金も含まれます。多分、地方税も含めると半分以上は税金でしょう。更に借金も支払わねばなりません。個人の医者にはボ−ナスも退職金もなく、病気休業すれば収入ゼロとなります。

 「かかりつけ医」は24時間対応を要求され、留守をする場合は、きちんとした留守番の医師に依頼しなければならず、予防接種や学校医、種々検診など行政の行う地域医療にも協力しています。昼夜、休日も急患があれば働きますので、医師は他の職種に比し長生きができないとも言われています。

 意見の相違はありましょうが、退職金も休暇制度もある給与所得者と単純比較するのは酷ではないでしょうか。

 我々医師たちには、マスコミに不快感を持っている人の方がはるかに多いと思います。医療関連の報道が、ややもすると厚生省の情報そのものであったり、厚生省と組んで情報操作しているとさえ感じる場合が多いからです。

 更に、数人の医師の不祥事を数十万の医師の不祥事のごとき恣意的な報道をする場合が多いからです。

 あまりの医師批判には、患者さんと医師との日常診療の場での信頼関係を損なう方向に誘導しているようにすら感じるからです。

 「医者のひがみ」とのみ言えるのでしょうか。
 あまりにも医学・医療の真実を伝えていない印象が強いからです。

 日本の社会保障費、医療費や診療技術料は、先進諸国に比べて驚くほど低水準であり、診療技術料にいたっては先進国の約2割程度である事実は報道されませんし、扱われても小さい記事にしかなりません。

 日本医師会は、医療費を消費と考えるのではなく、健康に対する投資であるという基本的認識で、国民の利益のための医療政策を考えていますが、マスコミは医師自身の経済的利益を考えているとしかとらえてくれません。

 厚生省からのリ−ク情報に振り回されて記事を書くのではなく、何時も後手後手の厚生省の医療政策に反論する材料を、どうして自ら取材して記事にしないのか不思議に思います。

 政管健保の財政悪化の原因が国庫負担率削減にあり、これを元に戻すだけで2兆円の財源になること。
 薬剤費や材料費が外国に比べて高いために医療費に占める薬剤比率が高い事実、医療費の3割を占めると言われる薬剤費の殆どが医療機関を通り過ぎて製薬会社や材料製造会社に流れている事実。

 薬価差益ではなく先進諸国の約2割も低い診療技術料アップを医師が要求していること、そうすれば3時間待ち3分間診療も解消され得ること。
 不正請求と言われる殆どが保険者記号番号記入ミスなどの書類上のミスであり、本来の不正請求は一部の医者の問題である事実。
 国家の憲法上の責務として真に国民のために必要な医療を目指してはじき出された医療費ではなく、初めから財源枠が決められた医療費で日本の医療が制限されて行われていること。
 景気回復に効果がないことにいい加減気付くべき公共事業投資やバブル時代に無節操に踊り借金を抱えた金融機関への無制限な税金投入とは相反する社会保障費や医療費のみの抑制策という矛盾。
 そのお陰で日本の病院の7割が赤字という非常事態が起こっている事実。


 このように少し上げてみても、マスコミが国民に知らして欲しい事実に基づく情報が山ほどあります。


 先の鈴木先生の言をお借りすれば、マスコミの報道する医学記事にも間違いがしばしばあります。

 更に、新聞の1面の下段には、「がんが治る」、「アトピ−が治る」、「万病に効く」などの見いだしの健康雑誌の広告が載せられています。
 医療費高騰を宣伝する正義の味方であるマスコミが、健康食品からエステも含めて4000億円市場とも言われる健康商法の荷担をしています。
 健康という固有名詞に弱い消費者は、大新聞の広告、書籍、著者の肩書き、高価な値段などにだまされて商品を買うはめになります。バイブル商法と称されるものです。
 健康食品に関する苦情は国民センタ−だけで3万件と言います。
 2000種類とも言われる健康食品には、マスコミが医療に求めているEBMのような科学的証拠は全くなく、効きそうな雰囲気があるだけです。二重盲検試験や第3者の有効性の検討もされてはいません。
 エステサロンでの脱毛で毛嚢炎を起こした事例も報告されています。医師法違反ですが、捕まる危険性より儲かる可能性が大きいので、後が絶えません。 βカロチンやビタミンAでさえ、欧米の大規模介入試験で対照より2割も肺がんを増加させたとの報告があります。

 健康食品に危険性がないわけではないのです。1986年のゲルマニウムによる6例の腎不全死亡例以後も、このバイブル商法は絶えることなく、1998年の売血リンパ球事件へ連続しています。

 これら健康商法が無害であれば夢を売る商法とも言えましょうが、健康商品の中には毒にも害にもなるものがあるので、注意が必要でしょう。

 医師たちの過ちは絶対的に許せなくて、広告だからという意味だけで、自分たちの企業倫理は許されるというのが、正義の味方マスコミなのでしょうか。
 雑誌や本で誇大広告を行い、弱い患者さんから不当なお金をもぎ取り、医事法違反で摘発されたものでも、その広告を掲載したマスコミの謝罪は見たことがありません。

 正しい情報かどうか分からない一般の人々を、あまり惑わせないでくださいとお願いするしかありません。
 メディコン・コンサルティングの西氏は、人は安心を得るために科学的と称される医療情報の入手に血眼になるが、情報が増えれば増えるほど、判断基準を失い、逆に不安が増幅しがちである。知識としての情報が増えるほど、解明される事柄よりも、むしろ分からない事が増えて来るように見受けられる。大切なのは情報や知識の量ではなく、情報を評価する尺度となる、ものの考え方や価値観、ビジョン、コンセプトであると言われています。

 その意味で真の情報開示は、「どんな情報を」、「誰に」、「何の目的のために」提供するのかが問われましょう。

 マスコミに、このビジョン・コンセプトを求めたいと思うのは医師だけでしょうか。国民も分かりかけてきた節が見られます。第4の権力と言われているマスコミの自覚もそろそろお願いしたいものです。それでなくても、第5の権力と言われるインタ−ネットでは、あやふやで無責任な情報が飛びかい、医者叩きも行われています。

 今年1月から日本医師会が会員に指示し、診療情報提供を始めましたが、この基本理念は、「患者さんと医師が敵として戦うのではなく、情報を共有し、友として本来の敵である疾患と戦うための信頼関係構築の手段」として、とらえられています。

 他の世界同様、医療界にも問題を起こす医者や医療機関は存在し、実際に過剰検査や過剰診療の医師がいないとは申しません。

 日本医師会として、医療に対する不信感を払拭するためにも、医師が襟を正すべく、12年2月2日、50年ぶりに「医の倫理綱領」を改定し、医師会員の倫理高揚を図ることを事業の柱とし、医師会員の啓蒙を図っているのも、そういう危機感があるからであります。その中には、医師の生涯学習の重要性、人格・教養を高める努力、患者さんの人格尊重と優しい心での接触及び十分な説明、医業に当たって営利を目的としないなど基本的6項目のほか、EBMの提供、患者への情報提供、チ−ム医療への対処なども盛り込まれています。

 また日本医師会「第6次生命倫理懇談会」は「高度情報化社会における医学・医療」についての報告をまとめ、患者さんのプライバシ−保護の重要性、患者情報を取り扱う者がプライバシ−保護の重要性を認識するよう意識改革を求め、医師が目先のデ−タにばかり気を取られていては「個としての人間を診るという点が疎かになる可能性がある」と、医療の本質を見誤ることのないよう注意を喚起しています。高度情報化社会の中で医師は「情報を見極める能力と情報を発信する能力、医師個人の医学上の技術・技量、更には豊かな人格を養うことが重要である」と提言し、医師会員への啓蒙をしています。生涯教育面でも真剣に取組み、医師会も自浄努力は続けています。

 どうかマスコミには、これ以上、患者さんと医師との信頼関係を壊すような偏向的な報道姿勢は改めていただきたいのです。


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(参考資料)

1)鈴木 厚 著「日本の医療を問いなおす」−ちくま新書
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