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3.子育て中のママ・パパと子供達へ

平成11年6月20日 記 浜脇 弘暉

▲近年、「子供たちの様子がおかしい」、「このままでは将来が危ない」、「教育改革が必要だ」、「心の教育が必要だ」などなど、子供に関する様々な問題が論議されています。
   しかし、子供たちだけが、本当に悪いのでしょうか。子供たちに罪があるのでしょうか。
   子供たちを悪い方向に導いたのは、過去・現在の社会であり、私を含めて、大人たち親たちではないでしょうか。
 終戦後、復興を急ぐ余り、精神面を放棄・忘却し、経済面のみに目を奪われ、バブルに踊り、金や贅沢に狂奔したツケが、今、子供たちに影響しているのではないでしょうか。
 今、人類の苦闘の歴史を真摯に振り返り、古きを知り、新しい生き方を模索することも必要ではないでしょうか。

 私が読み聞きして同感だと感じた多くの識者のお話に、本音の私的意見を加えて羅列的に書いてみました。
  かくいう私も、若い頃は両親に心配をかけた「デキソコナイ」でしたし、決して人様に誇れる人生を送ったわけではありません。ただ、37年間余り、主治医でない産婦さんを含め1万を超える出産という生死を分ける瞬間のお手伝いをして来ました。人生の終着が見えて来た今、どうしても言い残したい気持ちが強くなり、今、子育て中の長男夫婦への遺言の気持ちも含めて書いてしまいました。

  ▲地球・人類・命の歴史、自分の存在=唯一無二の個性について:

 太陽系誕生が50億年前、自然の営みで地球が誕生したのが46億年前、ストロマトライトという成長する・酸素を放出する石のお陰で生命が誕生したのが約40億年前、人類誕生が約500 万年前、文明というものが歴史に登場してから5000年前と言います。
 宇宙には無数の惑星があり、生物が存在する星は多くはないと考えられており、高度に進化した生物が住むのは地球くらいと思われますが、多くの幸運な偶然に恵まれない限り、人類誕生は期待できなかったでしょう。
 地球上の生物は、相互に密接な関係を持って生きており、炭酸ガスを光合成に使用し、酸素を放出する植物がなければ、多くの動物は生命は維持できません。
 文明・利便性を追い求めるあまりの地球環境の劣化によって、人類が存在できなくなることが予測されています。メソポタミア、エジプト、地中海、インド北西部、中国黄河などの古代文明は、物財の豊かさを重視した結果滅亡しています。

 人は生命そのものには畏敬の念を抱いています。人体は600兆の細胞よりなりますが、体内に存在する細菌はそれ以上と言われます。
 他の生物の存在なくして、生物は生きて行けません( 共生) 。

 同様に、多くの差異のある個性のある人間の存在なくして、人間社会は成り立たないと思われます(協調・共存)。
 人類誕生以来、文明も医療もない時代を経て、営々と苦しみながら、人類の遺伝子を生み育て引き継いできた母親の偉大な長い苦闘の歴史があればこそ、人類が滅亡せずに今日まで来たとも言えましょう。

 今、日本はグルメブームなど飽食の時代と言われ、毎日、大量の食べ残しを生じ、ゴミも含めて処理に困る程の大量の廃棄物を出す一方で、食料の自給率は世界でも驚くほど低いレベルだと言います。
 一方、ユニセフの報告では、世界中で、飢餓による5才未満の栄養不良の子供は、南アジアで8600万人、サハラ以南のアフリカで3200万人と言われ、世界中で毎日3万人の子供が予防可能な原因で死亡、5才未満で体重不良の子供は1億8000万人に上ると言われています。また各地での武力紛争で、1997年までの10年間に200 万人以上の子供が殺され、600 万人以上の子供が手足を失ったり身体障害者になったと言われ、現在、世界には30万人の子供の兵士がいるとも言われています。

 今でも世界で年間60万人の妊産婦死亡があると言います。
 日本でも、昭和25年には全国で4千人余りの妊産婦死亡がありました。妊娠28週から生後1週間までの周産期死亡は、昭和26年でも10万人弱、新生児死亡は、昭和26年でも5万8千人余り、乳児死亡は、昭和25年には14万人余りでした。

 私は昭和39年に産婦人科医になりましたが、昭和40年でも全国で1597人の妊産婦死亡があり、乳児死亡も33742 人、新生児死亡も 21260人という状況でした。今でこそ日本は世界一低い乳児死亡率と周産期死亡率を誇っていますが、ほんの50年前までは健康後進国であったわけです。

 太古の昔から、医療状況や生活環境の未完成な地域や時代では、子供を生み、育てるということは、これほど、危険で、厳しい状況であったわけで、先祖が自分の命をかけて分娩し、育児をしてきたという努力があったからこそ、人類は滅亡せず、今の自分の存在もあるわけです。

 自分が生まれて来るまでには親がいて、またその上に親がいて、この世代をずっと逆上ると、10代前で千人を超え、20代前で百万人を超え、26代前で1億人を超え、30代前で10億人を超える物凄い数になります。即ち、人類・その家系には500 万年続いた「長い命の継続の歴史」があります。



 生命誕生まで逆上ると我々の祖先は1つであり、自分が生きているということ・自分の存在は、そこから繋がって来た、その家系の遺伝子、生命の苦闘の歴史と長い時間が背景にあるわけで、その自覚が必要だと思うのです。

 生命誌研究館・中村桂子副館長は、50億の人間で遺伝子の種類は10万個程度しかないが、その組み合わせは天文学的数字になり、100 億の人間でも、1人として同じ人間が生まれる可能性はない。父と母の遺伝子の一部は受け継いで行くが、外界・外敵から人類を守るため、遺伝子レベルで少しずつ変化した人間が生まれる。万一、クローン人間が誕生しても、ある意味で遺伝子的には親と同じですので、外敵・外界に対して極めて弱い存在になるだろうと想像されます。

  同じ祖先から生まれ、40億という歴史の中で生命体全てと共通点を持ちつつ、1人1人が全て唯一無二の個性を持つ存在であるという自覚を持って欲しい、と言われています。元をただせば、人間は皆んな同じ祖先から生まれた、いわば兄弟であり、しかも誰1人として遺伝子レベルでみても同じ組み合わせの人間はいない、世界中で自分は唯一無二の個性ある存在であるという思い・自覚があれば、「いじめ」にも耐えられるし、自殺など考えもしないのではないでしょうか。

  ▲教育・子育て、障害について:

 大阪府立大・森岡正博先生(高知県のご出身です)は生命学を提唱されています。
 恐ろしいまでに進歩する生殖医療を、障害のない子供を希望する女性が何の抵抗もなく利用する風潮、障害の疑われる場合は躊躇なく人工妊娠中絶で捨てるという風潮、誕生前に生命操作をし規格外のものは手軽に捨てる、生まれる子供の選択にまで規格外は排除する風潮、生まれる子供・育てる家庭での子供・教育における子供に対する親の期待は、日本中が全て同じ規格品を求める方向を向いています。

 子供の個性を無視した標準規格化・均一・画一化・均質化であります。

 障害のない子供を希望することが悪いこととは言えませんが、一方で、日本社会は障害者のノーマライゼーション、人道的配慮を盛んにアピールしています。

  しかし、学校・社会でも、細かい差異がすぐ問題になります。
 遺伝子レベルでも個性のある存在の集まりである以上、色んなものを含んだ社会・集団が当たり前ではないでしょうか。少しでも違うものを見つけ、排除する。その感情が「いじめ」につながるのではないでしょうか。

 親の過剰とも思える期待、教育という名の規制、良い子ばかりの引き算教育の中で、子供たちは、冷たく無感動になるか、白けるか、自分を見失うかしかありません。

 自分がかけがいのない存在であるという実感が持てない子供、居場所のない子供、過剰な期待の中で演技するしか方法のない子供、過保護による甘え、葛藤した経験がなく、困難への抵抗性がない子供、透明な存在の僕としか表現のできない子供を生む危険性があります。日本の若者には「自尊感情」が少ないと云う報告もあります。自尊感情、即ち、自己を肯定的に捉える心が低いと、諦めや無力感に繋がると云います。

 今の親が、いわゆるエリート教育を受けた人種の欠陥を知りつつ、おかしいと思いつつ、突き進んでいる方向は、いわゆる「良い子」・「言う事をよく聞く・他人より優れた良い子」に生まれ育って欲しいという欲望だけではないでしょうか。今、教育の現場では、個性を伸ばす、ゆとりのある伸び伸び教育は行われていないし、更に親達の子供への過剰な期待が、教師をも追いつめて行きます。

 障害に関して、信州大・白井泰子助教授は、「ハンディキャップのため生きて行くのに困難を抱えていることと、その本人や家族が不幸かどうかは別のこと、ハンディが人を不幸にするのではなく、ハンディを拒否する社会が人を不幸にする。社会の変わりようによって、障害者の担ぐ荷は重くも軽くもなる」と言われています。
 花園大・浜田教授は、「障害のある児童が友達の輪にいれば、子供たちは教えなくても、いたわりの心を持つ。障害は1つの生きる形、文化である。お互いの存在、文化を認め合うことである。障害者も健常者も、同じレベルで生きようというのが、社会であり、福祉であり、教育である。学校は、将来、自分の生活安定などに役立てるための準備をする所という発想が、子供たちの生きがいを狭めている」と言われています。
 最近のベストセラーである乙武洋匡さんの著書「五体不満足」に、人々は何故あれほど感動したのでしょうか。彼の強い精神力・生きざまに、生きることの本当の意味、本当の姿を見たからではないでしょうか。

  私も一時そうでしたが、良い子なら育て易い、親にとって都合が良いという、自分の子供時代を忘却した親の甘えもありそうに思われます。

  今や国家存亡の経済危機に導いた政治家・官僚・企業トップのいわゆるエリートと言われる人種の汚職、思い上がり、モラル低下やオオム信者などエリート大学出の恐ろしさを、嫌というほど知らされたにもかかわらず、子供に学歴社会でのレールを敷けばそれで済むという安易さがあるのではないでしょうか。

 京都大・大島清名誉教授は、現在の人は、妊娠・出産について、ファッション化されたものを一種のステータス感覚で捉え、ちまたにはマタニティ雑誌が氾濫しており、多くの情報に振り回され、本当の情報が分からず、他の親に右へならえという安易な道しか選べないでいるようだ。
 人間・子供は育てられることを選択できないが、どう生きるかは自分で選べられる。どう生きるかを選べられるような人間に育てることが親や大人の責任ではないだろうか。今、子供の教育は、学歴志向のベルトコンベアーに無理やり乗せられ、親の期待を一身に背負って、自分が欲しない道を歩んで行く。これで果たして本当の人間形成としての教育がなされるだろうか。
  子供は、小さい時から前頭葉の神経配列がどうできるかで、行動発現が決められる。子供には、もっと遊びを最初に覚えさせ、右も左も脳を鍛えて、5感全体で相互に交流交信するような環境、触る、嗅ぐ、味わうという感覚込みの育て方をしないと、子供のロボットは作れても、本当の人間の心を持った生き物は作れない。最近、脳の不安定で、0〜9才、つまり原風景時代のいびつな体験が脳にトラウマ=傷をつけることが分かっている。パソコン・インターネットだと視覚だけが育てられ、人間同士の触れ合いが希薄となる。自然との触れ合い、人との触れ合いを真剣に増やして行くことが大切、家庭の触れ合いも大切と説いておられます。
  あたご幼稚園・野村主任教諭も、「今の親が、いうことを聞き、早くから勉強ができる、他の子供より優れた、大人にとって都合の良い子を育てる過程では、ちょっと子供にできないことがあれば、すぐに心配や不安を持ってしまうようだ。それが積み重なると偏った結果を招きかねない。幼児期は、人として生きて行くために重要な、内面が育つ時代だ。自信を持って育児をして欲しい」と言われています。
 大島先生の言われるように、情報化時代で世間には無防備で無責任な情報が垂れ流されています。マタニティ雑誌も、出産・育児を一種イベント・ファッションとしてとらえた情報が氾濫しています。皆がすることをしないと不安であるという日本人特有の無個性・右へならえという心理が、結果として没個性の規格品のような子供として育てることを強制することになるという悪循環に陥り、溢れる情報に流され、自分の思想や哲学や信念で物事を判断する時間が奪われ、取捨選択できなくなって行きます。
  ホテルのような豪華な出産がステータスになったりすると、その甘えは以後の育児不安や幼児虐待に繋がりかねません。
 出産・育児はそれ程甘くはないし、親が試行錯誤しつつ、子供から学んで行き、親も子も共に成長するのが育児と言えましょう。
 京都文教大精神科・秋田講師は「子供が大人や親に突きつけて来る無理難題や問題点は、実は大人自身が真剣に考えなければならないこと、大人が解決すべき課題を子供が代わりに持ち込んでくれていると受け止めるべきで、共に考え成長しようという姿勢が求められている。人生・生き方の多様性を子供に伝え、将来へのファンタジーを膨らませる力をつけてあげて欲しい」と言われています。

 太古から現在まで、人間・大人として生きて行く上で必要な知恵は授けられても、子育てや親としての教育など、誰も受けてはいません。学校の先生ですら自分の子育ての教育など受けてはいません。
 親が、自分の責任において、自分の人生観や思想・哲学を構築する過程で、自分の生きざまに自信と責任が持てるようになれば、育児にも自分なりの哲学が出て来て、自信が持てるようになるのではないでしょうか。
 試行錯誤の積み重ねでよい、親も子供も、自分以外に、どこにも自分は存在しない、遺伝子からみても個性ある自分は他人や社会に少しでも必要となるために存在しているのだという、自分の存在・生きざまに対する自信を持ち、そして子供に持たせることではないでしょうか。

 育児の中で、子供から学びつつ、あわてず、親も子供も成長すべきではないでしょうか。

 「人間・人生の価値」などと言われますが、人生や人間の価値を自分で決めることはできません。また先生や親や他人様が決めることでもありません。人生・人間の価値という言葉は大げさ過ぎませんでしょうか。むしろ、生きることの意味を教えてゆくべきではないでしょうか。生きることの意味を自分自身で探すことの方が大切ではないでしょうか。
 その意味を他人が認めるかどうかは、余り大したこととは思えません。
 いかに生きるかは、自分自身の問題として、ささやかでも喜びを味わえる生きかたを探し見つけることではないでしょうか。

 教育とは、命の歴史、その継続のすごさ、大切さを教え、自分は唯一無二の個性ある存在であることの意味を、子供たちに伝え自覚させ、自分自身の生き方を選択できる正しい情報を提供することではないでしょうか。
 こういう教育が、制度や仕組み、親が教師がと責任を論じる以前に求められているのではないでしょうか。親や先生は、子供たちの生きざま、生きる意味を選択するための道標(ミチシルベ)になるべきだと思います。

 戦後の復興期からバブル期に、日本人は残念ながら金という価値観で生き過ぎて来たように思われます。慌ただしい日常生活の中で、風流とか花鳥風月に感動する心の「ゆとり」もなくしたようです。心の教育、精神的な意味での価値観や感動を忘れていたように思われます。物質が豊かになっても、内面的な豊かさは伴いません。



 それぞれの子供を見据えた教育が必要ではないでしょうか。成績のみではなく、個人の長所を見つけ、伸ばす努力が必要で、偏差値など単一の物差しで評価し、良いところを認めて育てていないようです。
 うまく育てようと焦るほど、一所懸命になるほど、子供は思うようにならないものと言います。
 価値観の多様性や個性の時代と言われながら、画一の方向へ進むのは恐ろしい状況と思います。
 現代は、自己の選択と責任で、人まねでない個性的な幸せを追求し、構築する時代と言えないでしょうか。
 先にも触れましたが、世界中では、食べるにも事欠く状況、飢餓や伝染病で無数の子供たちが尊い命を失っています。日本では、膨大な食事の食べ残しがあります。
 他人をうらやまず、自分の生きざまに自信を持って、ささやかな幸せで満足すべき時代ではないでしょうか。

 「裸のサル」の著者・デスモンド・モリスは、人間は体が毛で覆われていないサル・裸のサルである。セックス・育児・捜索・闘争・摂食などの諸行動を見ても、人間の文化的な活動の中にも、動物的本性に根ざしたものが意外と多い。人間の古い衝動は数百万年もの間、彼に伴って来たのであり、新しい知的部分と言えば最大限数千年しか経っていない。彼の全進化史の中で蓄積した遺伝的な遺産にソッポを向こうとしても無理である。
 世の中には、己の動物的な本質を見つめることを好まない人もいる。この本能・動物的な人間の本質を認識せずに、人間を語ることはできない、と論じています。

 大人が自分の内面に素直に目を向け、汚い部分やより道・道草を否定せず、日常生活の中で、怒り、悲しみ、やさしさという感情を大事にし、人生・生きることの意味、本当の生きざま、本当の幸せなどについて、子供の心に響く言葉で語りかける必要がありましょう。劣等感を感じたことのない人間に、優しさや真の感性は育たないのではないでしょうか。

 また、父性の復権も子育てには重要で、父親が秩序を強く指向する人だと、子供も秩序を重んずる人間に育つ傾向がある(東京女子大・林教授)と言います。



 元細木病院小児科・玉井瑛子先生は、「確かに男性と女性の権利は同権です。しかし父性と母性は違う。本質的に父親は外に出て家族のために獲物を獲得してくる。母親は子を産み育て守るもの。母親にとって政治や世界平和よりわが子が大切なのだ。母親はわが子のためなら何でも我慢できるはず。それが母性というもの。それがなければ、人類発生から何百万年、出産の苦しみを越えて、人類が営々と存続しているはずがない」と話されています。
 母性は子供の時代はできるだけ愛情をかけ、父性はもっと広い世界の中で子供に伝えるべきことを伝え、何か困窮の時には、命をかけて一家を守るという、住み分けは必要だと思います。
 そして、何より家族がしっかり向き合い、明るく結びついていることが、子供には必要なのでしょう。

 何も、育児不安を母親にだけ責任をかぶせるわけではありません。母性を補い、いたわる父性も必要でしょう。男女共同参画社会への変身も必要でしょう。
 わが国で立ち遅れている母子対策・少子化対策、子育てを喜びと感じることのできる社会と環境の整備、育児に関する様々なサポートシステムの構築、子供を安心して健やかに生ませ、健康で優しい子供へ育児できる、更に仕事と家庭を両立できる環境作りが必要でしょう。


▲少子化について:

 今、少子高齢社会が様々な観点から問題となっており、1人の女性が一生の間に生む子供数の平均が2.08を下回れば、その国は将来滅亡するとされ、平成10年は1.38でした。2100年には人口が6700万人まで減少し、今の数字が続けば千年後には人口はゼロに近づくと予測されています。

 2025年が第1次ベビーブーム団塊の世代の高齢のピーク、2050年が第2次ベビーブーム・イチゴ世代の高齢のピークとなり、1人の老人を支える生産年齢者は2025年2.2 人、2050年1.7 人に減少すると予測されています。そして、それ以後は、高齢社会というより、全世代での人口減少社会に突入します。

 少子化により、労働人口減少、経済成長低下、現役世代の税・年金・医療保険・介護保険などの負担増加、現役世代の所得低迷、国民生活水準の低下、不足労働力を補う外国人労働者の急増、家族形態は変容し、子供数減少に伴う子供同士の交流不足・過保護など成長過程への影響、過疎化・高齢化の進行などマイナス面が多発します。

 少子化の原因は、未婚率の上昇、晩婚化の進行が言われています。個人の価値観・結婚感の変化、育児と仕事の両立への負担などが、その原因とされています。
 しかし、一方で夫婦の理想の子供数は2.6 人で、それを妨げる要因は、子育てや教育の費用負担が第1で、育児への心理的・肉体的負担への怖さもあるようです。

 国の人口問題審議会報告書では、少子化への対応を上げていますが、相当思いきって取り組んでも、21世紀半ばには、国民生活は相当深刻な状況になると予測しています。
 一方、北欧では、両親育児休暇法や保育制度充実で出生率回復を見た例もあり、日本では、子供の教育費などの養育費を10%削減することで、合計特殊出生率を0.33アップできるという試算もあります。

 日本の父親・母親が、自分の個人・家族の利益優先のみの価値観というエゴの世界を追い求めるのでなく、かつエリート教育や偏差値教育から目覚め、塾通いを止め、自然の中での伸び伸び子育てを目指せば、子供の状態はもっと良くなり、この数字も達成できる可能性はありましょう。

 ▲生きざまについて:

  東京理科大・田沼教授は、「3番目の染色体にアポトージスという死の遺伝子がインプットされている。細胞死がないと、人間は単なる細胞の塊になる。手足や臓器の形をなすために、死の遺伝子が人間には組み込まれている。動物は発生過程で余剰の組織や細胞をアポトージスによって消滅させて、形態を整えて生まれて来ることが分かる。死の遺伝子がないと、ガン細胞のように同じものばかりが残り、環境の変化に対応できず、生き残れない。
 従って、人間の生と死は表裏一体で、生より先に死があるのではないか。今、人間の死から生を捉えなおすと、生きて行くことの意味が見えて来るのではないか。」と言われています。

 これから見えてくるのは、人間は無為な長生きを追求するのではなく、限られた人生において何を為して死ぬかが求められ、そういう生き方が決められているのではないかということです。
 医学がいかに進歩しても、人は誰でも何時かは病むもの、そして人は確実に何時かは死ぬもの、この真実から目を背けて生きてはいけないという事実を、思い上がった人類に再確認せよとの告発と見えます。
 夫々の人生で、ささやかでもいい、自分の生きざまをまっとうした人が一番幸せなのではないでしょうか。君やあなたの個性とはどういう意味があるのか、価値観の多様性と言われるものの真の意味を子供に語り、親子で共に悩み、試行錯誤しながら生きてゆくべきではないのでしょうか。

  ▲最後に:
 敗戦後、経済的な豊かさ追求に走り、文明を得たかに見えた日本は、3流とも言われる政治・経済界、奢れる官僚のせいで、国と地方合わせて、600 兆円とも言われる膨大な借金の上に成り立っているという現実が残り、財政再建と不況・景気回復のはざまで、もがき苦しんでいます。
  今こそ、人類誕生も含め過去の歴史を振り返って、忘れかけている本当の意味の豊かさとは何かを問い直す時期に来ているようです。
  更にこの上、利便性や物の豊かさを追求していると、我々子孫という人類の消滅、地球の破滅へと進みそうです。
 環境ホルモン然り、公共事業という名のもとで繰り返されている環境破壊も然りではないでしょうか。

 育児・教育も我々大人が反省の上に立ち、子供の視点に立ち、見直す必要があると思います。教育の制度面のみ見直しても、何の解決にもならないことは、これまでの経過が証明しています。
 詰め込み主義、偏差値教育、受験地獄、行き着く先は学歴社会という形態の中で、「生き方に疑問を覚えても演技をし、何も考えず抵抗せず、友人を蹴落として突き進む、いわゆるできる子・エリート人間」と、「子育てや教育の場で、いわゆる落ちこぼれという単純な発想しかできない大人にレッテルを貼られ、やけになり暴れ、あるいは無気力・怠惰に生きる人間」、「特に目的や社会に役立つという意識もなく、遊んで楽しく生きればいいやという呑気人間」の3極化が起こりかけているのではないでしょうか。

 自然や社会の中ではち切れんばかりの躍動と弾力性を持って先ず遊び・学び、自然の素晴らしさと怖さも知り、ささやかな事象に感動し、感性を磨き、自分の人生に対して守りに入るのではなく、自分の人生の意味を見つけるために、積極的に自分の人生を切り開いて行くために学ぶ、そんな若者の育成を目指す教育を、国民で考えて行くべきではないでしょうか。

 人間社会はピラミッドのようなもので、下の土台を支えている人々が存在しなければ、上の人種(例えば国会議員や総理大臣)は存在し得ません。本当に社会で必要な人は、人間の生きて行く上で欠かせない食べ物を作ったり、取ったり、他人の出すゴミや屎尿を処理されている人々であり、バラの花になりたい人々ばかりが育っても社会は成り立たちません。
  人間社会の片隅でもいい、社会を少しでも照らす名もなき小さき花として生き、その自分の生きざまに自信が持て、死ぬ時に後悔で胸をかきむしらない、そういう生き方こそが素晴らしい人生だと思います。

  おはよう、おやすみ、いただきます、ごちそうさま、ありがとう、すみません、の6つの言葉と心を素直に言える子供に育てることが重要ではないでしょうか。                                                            

終わり 

す ば ら し い 絵 本 が あ り ま す !
生きるということ、生きる意味とは、いのちの意味とは、そして死とは?これは、人間にとって最大の問題であり、かつ、その答に最も苦しんできた問題でしょう。ここに、それらに対して、大人にとっても子供にとっても、有益な示唆と分かりやすいい答を出してくれる一冊の絵本があります。すでに多くのお母さん方が読まれ、子どもさんに聞かせておられると思いますが、まだお読みになっていないお母さんやお父さん、そして少し大きくなられたお子さんに、ぜひ読んでほしいと思います。
本の名前は、「葉 っ ぱ の フ レ デ ィ 」−いのちの旅− です。
アメリカの哲学者・レ オ ・ バ ス カ リ − ア博士が書き、みらい なな訳で、童話屋の出版です。

絵本には、葉っぱのフレディのいのちの旅の神秘が、写真で表現されています。
7月7日、CDも東芝EMI株式会社から発売されるそうです。

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